皆さんこんばんは。亀屋の歴史、先週の続きです。当店世田谷区豪徳寺にある亀屋は分家の分家と言いましたが、
それはですね、本家の品川の亀屋の娘が私のおばあさんです。
その娘さんと結ばれたのが、亀屋で働いていた、私のおじいさん(五郎さん)です。
この二人が独立しました。
当時は戦前の話でしたから、長男は兵役を免除されていたそうです。ですので今の私の姓(芝崎)を継いだそうです。
昔は借家が当然でしたので、東京の中を住まいを色々変えたようです。
私が聞いたのには、麻布でも三味線屋をやった時もあったようです。そうこうするうちに大田区大森に腰を落ち着けたようです。それが私の父の実家大森の亀屋です。
ここで私の父が生まれました。戦争が終わりまして、大森で三味線屋をやっていましたが、おじいさんの五郎さんが40代でガンでなくなってしまいました。
その時私の父は14歳だったそうです。大森のおじさんも17歳おばあさんは途方に暮れたことでしょう。
しかしここでおばあさん頑張りました!おじさんが高校を卒業するまで、亀屋を一人で切り盛りしたそうです。まだ女性が仕事をする事に偏見のある時代です。仕事を受けても店の裏で人の見えない所で仕事をしていたそうです。そしておじさんが高校を卒業しますと、あとを継ぎます。その時私の父は中学卒業です。高校には行けません、おじさんの品川区旗の台の七五郎さんの所に奉公に出されました。
まだ中学を卒業したばっかりです。苦労が多かったようで、常に胃を壊していたそうで、痩せていたそうです。
ここで数年修行させてもらってお兄さんの入る大森の亀屋に帰り兄弟揃ってお店をしていくと言う事になりました。時代は昭和30年代、日本も高度成長に入っていく時代でした。
さて、これからどうなるか?お時間が参りました、続きはまた来週書きます。
お彼岸の時期にこれを書いている事に何か因縁を感じている亀ちゃんです。
関係図
篠田亀太郎(本家品川亀屋)
|兄弟 結婚
芝崎五郎(大森亀屋)————芝崎ユク
| 兄弟 |_______ 長男 芝崎敏雄(大森亀屋 跡取り)
菅沼七五郎(旗の台亀屋) |兄弟
中学卒業後奉公に行 く ← 二男 芝崎勇二(後に世田谷亀屋独立)
世田谷亀屋
結婚
芝崎勇二———————–芝崎恵子
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二代目芝崎勇生(筆者)